今日も京都の隅っこから

京都の隅っこの大学生

関西ローカル線の旅~郷愁を誘う風景をたずねて~

今日は奈良と和歌山に行った時の旅行記です。奈良に行くのは3年ぶり、和歌山に至っては実に7年ぶりぐらい。「のんのんびより」の舞台訪問も兼ねていましたので田舎をテーマに旅をします。もっとも巡礼記事は以前、別に書きましたので、今記事はそれ以外のネタで通そうと思います。


桜井線に乗って山辺の道へ

まずは京都駅から奈良線に乗って南下します。

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京浜東北線の大船行きかな?って思ってしまう元沿線民。ちょっと小躍りします。


ところで、この間、山手線に乗ったらほぼ新型車両になっていて驚きました。あの液晶モニターうるさくって仕方ありません。電車に乗っている間ぐらい落ち着いてぼーっとしたいと思うのは自分だけでしょうか。みんなスマホに没入していて広告なんか見てないし。その後、京都に戻ってきて103系を見たら妙に安心しました。


奈良駅で桜井線に乗車。京終、帯解、櫟本、巻向……もはや読めない(笑)
難読駅だらけの桜井線です。何度教えられたって覚えられません。


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柳本駅で下車します。駅舎は1930年のもの。今でこそ小さな集落の静かな駅ですが、戦時中は海軍の大規模な飛行場があったために大賑わいだったそうです。


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駅から少し行くと山の辺の道に至ります。日本書紀にもその名が残る古代の道です。


以前、三輪山から石上神宮まで全行程を歩いてことがあるのですが、長閑な田園風景がとても印象的だったので再訪したわけです。とはいっても今回のメインは和歌山ですし時間もないですから、巻向(まきむく)まで1駅歩くだけにします。


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古墳だらけの奈良盆地です。奈良は時代が交錯している感じがして好き。


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巻向駅で地下鉄顔に遭遇。これが千代田線を走っていたなんて想像できないぞw


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桜井線・和歌山線の直通電車だったのでそのまま和歌山まで行きます。奈良県南部の五条駅ですれ違い。まぶしいぐらいの青色です。


和歌山県 笠田駅


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これから向かう天野の里は高野山麓にあります。紀ノ川沿いの笠田駅で下車。


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古い駅名標が残っていたのには驚きました。


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これから行く丹生都比売神社の手描きポスターが待合室に張り出されています。


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バスまで時間が合ったのでちょっと町散策。


丹生都比売神社と天野の里

高野山といえば誰もが知っているけど、これから行く天野の里はそれほど有名ではありません。実は天野も世界遺産の一部で、そこの丹生都比売(にうつひめ)神社にお参りしてから金剛峯寺に行くのが高野山の正式参拝ルートです。それなのに恐れ知らずの南海電鉄は別ルートに線路を敷いたため、今ではみんな素通りしてしまいます。


駅まで戻ってバスに乗り込み発車を待ちますが、出発3分前になっても運転手が来ません。他の乗客と「なんかローカルですね」なんて話しながら呆れていると、遠くから小走りでやってくる運転手の姿が。一服してたのかな?


紀ノ川を越え、山道を縫うようにしてバスはひたすら登って行きます。

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で、こんなところで下ろされました。想像以上のド田舎です。



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こちらが世界遺産の丹生都比売(にうつひめ)神社。弘法大師高野山の土地を授けたのは丹生都比売神社の神様です。


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社殿は室町時代の壮麗なものでした。


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鎌倉時代高野山の山伏達が残した碑文が神社の裏手に残っていました。


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この神社の祭神は天照大神の妹の丹生明神です。神社の裏山に丹生明神が降誕したと伝えられている場所があります。小さな祠が建っていました。


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空海と丹生明神が初めて出会ったとされる場所もあります。ここは高野山にとってとても重要な所なので、鳥居は高野山が寄進したそう。神仏混合は続いているのです。



天野から高野山へ通じる道中にすごいものがあると聞いて山道を登ってみました。


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二つの並び立つ鳥居!こんなの初めて見ました。丹生・高野の2つの明神を高野山へ勧請したとき、空海が建てたのが始まりだそうです。


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上からは里が一望できます。ほんと昔話の世界だなぁ。



ここ天野の里は神話の里でもあるけれど、悲しい伝説も沢山残っています。高野山は修行の山なので、長いこと女人禁制でした。女性が立ち入れるのはこの天野までで、仏門に入った恋人を追ってこの地で息絶えた女性が沢山いたそうです。


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建礼門院の官女、横笛もその一人。高野山に出家した恋人、時頼に会いたい一心でここまでやってきたが、その願いもむなしく病に倒れ、19歳の若さで亡くなったそう。



横笛臨終の時、時頼が送った歌に

高野山 名をだに知らずして すぎぬべし 憂きをよそなる 我身なりせば』

横笛返歌に

『やおや君 死すればのぼる 高野山 恋もぼだいの たねとこそなれ』


この時代の男って勝手ですよね。「自分は辛いこととは無縁な身だから、忘れてくれ」なんて死にかかっている恋人に対してよく言えるわ。


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自己中といえば出家の時に自分勝手な行動をとったことで知られる西行も天野の里と関係しています。(当時にとっては殊勝な心がけだった訳だが)


西行は、出家する時に足にまとわりついてきた自分の娘(5歳)を足蹴りして突き飛ばしたと言うからとんでもない。それなのに古文では「すばらしことだ」みたいな感じで引用されているのにはびっくり。ほんとこの時代って、いとあさまし。


結局西行の妻と娘も出家し、ここ天野で没しました。彼女らの庵跡には「西行堂」というお堂が建っています。


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あと鹿ヶ谷の陰謀流罪になった俊寛の召使いの有王丸の墓もあります。やっぱり出家してここで亡くなったそうです。


今まで高野山といえば「観光地」「世界遺産」のイメージしかなかったのですが、いろいろな悲話もあれば、伝説もあったりして興味深かったです。とりわけ自分は古文や民俗学が大好きなので、天野の里はとても気に入りました。


おそらく天野の里の景色は平安時代とそう変わっていないんだろうなぁ。1000年も昔のことが手を取るように近くに感じられます。


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というわけで田舎でのんのんしたい方には天野の里をおすすめします。夏休みには金剛峯寺との間に臨時バスも出るので合わせて行ってみるのもいいかもしれません。